なつかしの碓氷峠 [鉄道]
すこし懐かしい写真を引っ張り出してきました。
長野新幹線が開通する以前、信越線で上野から長野に至るためには必ず横川駅に停車をする必用がありました。
その長野新幹線が開業してから、早くも15年が経とうとしています。
<おぎのや>の「峠のかまめし」を買って碓氷峠を越えた記憶がある世代は既に20代になっているのじゃないかなと思います。
アラフォーの私にとっては、曾祖母の法要で長野へでかけたり、鉄キチの友人達とわざわざ碓氷峠を下ってきたりした思い出深い路線です。
上の写真は、横川駅で急行「妙高」の停車時間にとったものと思われます。
国鉄時代の盛夏服の車掌さん、白い制服が眩しく映っています。
115系の普通電車にも機関車の重連が。
この風景は、ここだけのものでした。
協調運転のできない、115系は単純にぶら下がって横川へ峠を下って行きました。
よくみるとJNRの銘板が側面にないですね。
ただ、国鉄特急のシンボルマークが燦然としています。
この時代は、「あさま」もエル特急と呼んでいましたね~。
下りの「白山」です。
思えば、東京から金沢へ行くのに碓氷峠を越えて行く列車があったのですよね。
先の「妙高」と前後して「能登」という夜行の急行も列車もありましたね~。
もうすっかり、昔を懐かしむおっさんです。
とはいえ、周遊券で旅行する者にとっては、夜行の急行は貴重な足でした。
私の高校生時代は、JRが発足したてで何かといっては1万円かそこらでJR東日本は周遊券を発売していました。なので、友人達と上野駅に夕方行き、今日は「津軽」乗るかはたまた「八甲田」か。あるいは、「妙高」か先までいける「能登」かなどという選択の楽しみもありました。
そして、それが全て毎日、スケジュールがある定期列車だったのですから、いまから考えると驚きのダイヤです。
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