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夜行列車で台北から高雄へ ~ 台北からの出発 ~ [鉄道]

いよいよ、本日のお宿531次列車に乗ります。
飲む約束した友人と散々ビールとを飲んで台湾の美味しい食を胃袋にたんまり放り込んで、台北駅までタクシーで乗り付けたら23時をまわっていました。

友人とはタクシーで別れ、先ず駅の売店(駅中セブンイレブン)でお水とお茶を仕入れました。
車内販売なんて当然期待出来ないでしょうし、時刻表を見ても長時間停車をしそうな駅はありません。と、いうことから先に酔いを乾かす水分が必用と見込み売店へ直行したのでした。
オーストラリアと違い、売店の飲料も安心して買える値段でした。(40台湾ドル程度だったと思います・・・。) 

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切符は酔っ払う前に入手しましたので、後は「月台(ホーム)」を確認すればOKです。日本の駅同様に自動改札にチケットを通して、月台3Aへ向いました。

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素晴らしきは、漢字!
あまり、考える事なく掲示板を見て行動ができます。

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531次列車が、定刻23時30分に入線してきました。
莒光号を牽引するのは一般的な米国製客貨両用機関車E200形機関車です。

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えっ、こんなに乗車するのというぐらい大勢の人が乗車しました。
この列車が、郊外の桃園より南へ行く最終列車になるので、週末の遊んだ後の帰宅の足にもなっているようでした。指定を取っていないと、ある程度行かないと座れない程の混み具合でした。

余談ですが、結構皆さん寒そうな装いですが正直私にはかなり暖かく感じられました。

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そして、定刻23時35分に莒光号531次は高雄に向けて出発しました。




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京急2000形リバイバル塗装車 ~ 早速あえました~ [鉄道]


2000 形リバイバル塗装車の運転なんて話を京急のサイトで見て、もう登場してから30年も経つんだなと感慨に浸ることひとしお、そしてそのうち撮りに行こうかなと思っていた矢先に京急川崎駅で2011編成に遭遇しました。

◆2000 形30 周年記念リバイバル塗装車の運転について
1982 年に登場した2000 形電車は,1998 年以降の通勤型改造により,現在は赤い車体に白い細 帯の塗り分けで運行されております。このたび,登場とブルーリボン賞受賞30 周年を記念して、2000 形電車8両編成(車号:2011~2018)を「登場時の赤い車体に窓周りが白(アイボリー)」 の塗装に復元し,1月24 日(木)から,主に朝夕ラッシュ時間帯の快特,特急や,横浜方面の エアポート急行で運転(約2年程度を予定)しています。
※運行予定は,前日14 時以降,京急各駅(泉岳寺駅除く)または京急ご案内センターにお問い合わせください。

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あれ、何か違うのと思われる方が殆どかと思いますが、窓の下に細い白帯ではなく窓周り全体が白塗装になる(帯が太くなる)「優等列車塗装」になっているのです。

2000形は、その登場まで子供心にもっていた野暮ったい京浜急行のイメージを一新した車輌でした。他の車輌とは異なり1枚扉が両開きの2枚扉に、そしてクロスシートでカーテンがさげられた輝かしい車輌でした。

京急も大々的に宣伝していて、小学校で京浜川崎駅(当時はまだそう呼称していました)に社会科見学に行った際には、2000形の下敷きやリーフレット等を頂いて帰ってきた記憶があります。

塗装だけでも優等列車の輝きを・・・なんてイベントじみたことがされ始めると言うことは、そろそろ全編成の引退が近づいて来ているのでしょうね。

まあ、とりあえず2年ぐらいはこのまま走りますサイトにも書かれているので、2015年ぐらいにその時はやってくるのでしょうか。個人的には800形もこの往年を再現して「優等列車塗装」になってくれないかな~なんて思ってしまうのですが・・・・。



タグ:京急 2000形

東京駅丸の内駅舎復原完成記念乗車券、買えた~ [鉄道]


何年ぶりかで記念乗車券を買いました。

コレクター魂は最早それほどないのですが、毎日通勤で使う駅で発売広告をみたら、最寄駅ならいいか~ぐらいで気持ちで行ってみることにしました。

JR東京支社 東京駅丸の内駅舎復原完成記念乗車券を発売
JR東日本東京支社は20日8時から、東京駅丸の内駅舎の保存・復原工事完成を記念して、「東京駅丸の内駅舎保存・復原完成記念入場券」を発売する。発売日は、同駅開業日の20日に合わせた。

10月に開業140周年のは朝寝坊して購入できなかったので、今回はいつもより30分早い電車に乗りました。勇んで丸の内南口にいったところ、地下まで伸びる行列~。

と、いうことで朝は早々に諦めて、後で買えたらそれでいいやというわりきりをして、朝は会社へ向かいました。

で、お昼過ぎにリトライ。
購入できました。

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専用の台紙に7枚の硬券入場券が入っていました。

 
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この入場券、東京駅にゆかり深い車輌が印刷されているのですが、写真なのです。

絵柄がついている硬券は見たことがありましたが、こんな事も最近はできるんだね~と感心してしまった1日でした。



タグ:東京駅

昔日の旭川駅と特急「いしかり」 ~ まだ新しいぞ1500番台 ~ [鉄道]

懐かしの特急「いしかり」です。

父方との祖父母が旭川にいたので、撮影できた1枚です。
日付の通り、1979年の1月、寒そうです。
旭川駅で撮ったということと、ヘッドマークの上に雪を帯びてしまっていたのが子供心に悔しかったことを覚えています。ちなみに、このときは親父と二人だけだったと記憶しているのですが、何故「いしかり」に乗ったのかは残念ながら記憶に残っていません。

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485系1500番台は北海道向けとして製造され運転台上の前照灯が2つに増設されていました。これが子供心に上野駅では見られない稀少性をあおり、「かっこういい!」と思わせたのでした。

しかし、まだまだ新しいですね。たまに臨時列車で485系を見かけることがあるのですが経年はやはりぱっと目にもわかるような状態になってきていました。

また、隣のホームに止まっているのはワムではないですか!
あまり気にしてもいなかった写真なのですが国鉄が陰りは見えていたとはいえ、まだまだ輝きを放っていた時代の1枚だと思うと感慨深いものがあります。

と、いうことで写真データからのポストでした。



なつかしの碓氷峠 [鉄道]


すこし懐かしい写真を引っ張り出してきました。
長野新幹線が開通する以前、信越線で上野から長野に至るためには必ず横川駅に停車をする必用がありました。

その長野新幹線が開業してから、早くも15年が経とうとしています。
おぎのや>の「峠のかまめし」を買って碓氷峠を越えた記憶がある世代は既に20代になっているのじゃないかなと思います。

アラフォーの私にとっては、曾祖母の法要で長野へでかけたり、鉄キチの友人達とわざわざ碓氷峠を下ってきたりした思い出深い路線です。


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上の写真は、横川駅で急行「妙高」の停車時間にとったものと思われます。
国鉄時代の盛夏服の車掌さん、白い制服が眩しく映っています。


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115系の普通電車にも機関車の重連が。
この風景は、ここだけのものでした。
協調運転のできない、115系は単純にぶら下がって横川へ峠を下って行きました。


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よくみるとJNRの銘板が側面にないですね。
ただ、国鉄特急のシンボルマークが燦然としています。
この時代は、「あさま」もエル特急と呼んでいましたね~。

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下りの「白山」です。img526.jpg

思えば、東京から金沢へ行くのに碓氷峠を越えて行く列車があったのですよね。
先の「妙高」と前後して「能登」という夜行の急行も列車もありましたね~。

もうすっかり、昔を懐かしむおっさんです。
とはいえ、周遊券で旅行する者にとっては、夜行の急行は貴重な足でした。

私の高校生時代は、JRが発足したてで何かといっては1万円かそこらでJR東日本は周遊券を発売していました。なので、友人達と上野駅に夕方行き、今日は「津軽」乗るかはたまた「八甲田」か。あるいは、「妙高」か先までいける「能登」かなどという選択の楽しみもありました。 

そして、それが全て毎日、スケジュールがある定期列車だったのですから、いまから考えると驚きのダイヤです。



やっと出会えた「寝台特急あけぼの」 [鉄道]

そんなご大層な話ではないのですが、昨年8月15日に果たせなかった、「あけぼの」と上野駅で対面する事ができました。

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大昔に、青森駅でお目にかかって以来。
直流機である、EF64が先頭にたっている姿は初めてお目にかかったのでした。

少し早起きすれば、会社に行く前だって充分に間に合う時間に上野駅へ到着する「あけぼの」ですが、そこまでガンバレないアラフォーのマニアの端くれなのでした。

4月1日から運行を再開した「あけぼの」ですが、今日見る限りそこそこの乗車があったのではないかと思います。
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そして、降車された乗客の皆さんは、その多くの人が写真を撮っていました。

しかし、牽引されている24系寝台客車は、やはり経年劣化してきており本来なら更新期なのでしょうが開発の話が全く出て来ない事を考えると、早晩、廃止となってしまう可能性が極めて高いのでしょう。

だからこそ、私の様な人間がいるのでしょうが・・・・。


在りし日の京急1000系 ~ 1000系、引退していたんだ・・・ ~ [鉄道]

最近、気が付くと引退している車輌が増えてきている。
京急の1000系もしかり。子供が産まれたり、歳を重ねた事で仕事が忙しくなったりとアンテナの感度が鈍っているのは致し方がないが、こんなお膝元の話までポカしてたいとは、いやはや。

そうはいっても、引退にするのは時間の問題ではあったと思います。
だからこそ、一昨年(2008年)の夏に時間を遣り繰りして撮りにいっていました。
それがココに掲載した何枚かの写真です。一番ご近所の大師線を自転車でまわりました。

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京急川崎方面から港町へ進入してくる図。
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これは鈴木町です。

そして、産業道路を横断して、産業道路駅へ進入する1000系です。
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この産業道路駅は、近い将来、地下化され、踏切が撤去されます。
クルマで通る事も多いので、それはそれでありがたい事なのですが。

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これは、昨年(2009)の丑年のヘッドマークを掲げている1000系です。
寅年の写真はよくみるので、ちょっと珍しいかもしれませんね。

しかし、身近なところで色々な車輌が引退しています。
通勤や仕事の経路上で行くならば、
京浜東北線の209系、京王電鉄の6000系が・・・。
意外と毎日目にしていると、慣れてしまうのですね。

いま少し、身近なところに仕事も趣味も目を配らねば。
そういえば、京王電鉄も「KTR」のプレートを見なくなってしまいましたね。
個人的には京王帝都電鉄の方がなんだか重みがあった好きだったのだけれどな~。
あ、帝都高速交通営団もですね。

帝都という呼称は、時代的に流行らないのでしょうね。


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ふるさとの訛なつかし停車場の・・・・・ ~「あけぼの」は来なかった・・・~ [鉄道]

2010年8月15日、毎週、なにかをみつけては趣味の世界へ向かう自分がいる。
しかし、そうはいっても乳飲み子がいると、そうそうそればかりを追求している訳にもいかない。

でも、と、いうことで前日に嫁さんには、「朝ご飯を買って帰ってくるよ」という断りをいれて、会社へ日と同様の時間に起床して上の駅へ向かいました。

ひとまず、休日の朝の京浜東北線は空いているだろうと、たかをくくっていたら、これから帰省や遊びに行く人達で満員。コミケに行くのであろうと思われる会話をしている少年達もいました。

そんな人達も東京駅を過ぎたら、まばらに。
今日の獲物は特急「あけぼの」のみ。往年の上野駅であれば、信越・上越方面の特急の出発やや東北方面からの夜行列車の到着を狙うという楽しみもあったのですが、それもいまは昔。

臨時列車は何かいないなかと物色をしていたら、急行「能登」があるということが分かり、上野駅到着後急いで着番線である16番線の地上ホームへ。

そうしたら、もういるではないですか、カメラを構えた鉄道少年君達が。
(勿論、ご同輩も・・・)

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そんなご同輩を横目に、こんな写真を撮っていました。
「ふるさとの訛りなつかし
停車場の人込みの中に
そを聞きに行く」
いつ頃設置されたかは・・・、よく見てくればよかった・・・(失敗)
いまの上野駅には、啄木の思いを彷彿とさせる列車は「あけぼの」しか残っていませんね。

しかし、朝が早いとはいえ、6時台なのに何かがらんとした物寂しさが漂っていました。
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16番線に到着した、「急行能登」です。
485系1000番台を使用していました。のんびりしていたら、ヘッドマークは変えられてしまいました。
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「あけぼの」の到着までは間があるな~と思い、地上ホームをふらふらと撮影していました。


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臨時列車に使用される485系も絶滅危惧種なのですが、こちら185系だっていつ御役御免の日がきても良さそうな感じが最近はしています。とはいえ、この「水上」の300番台もリニューアル工事を経ているのでもうしばらくは勇姿を見る事ができるのですかね~。

なんて、暢気に構えていたら、アナウンスが!
羽越線内の大雨により、「あけぼの」は3時間の遅延・・・・。

そうなると着時刻は10時近く。

いくらなんでも、それは無理・・・、ということで泣く泣く撤退です。

品川駅のパン屋さんで朝ご飯を調達して帰宅しました。

う~ん、残念。
また、来週かな~。


余部鉄橋の思い出 [鉄道]


余部鉄橋がついに掛け替えとなった。
ここは鉄道ファンにとっては、外せないポイントで小学校の時からいずれは訪れてみたい場所だった。しかし、関東地方に住む私にとって、お墓のある京都まで行く事はあっても、その先日本海側にでて、更に山陰線を下ると事は夢のまた夢だった。

それがやっと叶ったのが、中学3年生の時であったと思う。

当時は、宮脇俊三さんの著書をどれも貪る様に読み返して、図書館にあった時刻表を眺めながら夢想にふける、鉄道少年だった。

なんのきっかけであったのかは、全く覚えていないが鉄道自体にはあまり興味をもっていないと友人と鳥取から京都にかけて旅行してみようという事になった。

確か、その友人が砂丘と天橋立に行きたいな~、といったのがきっかけだったような気がする。

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その時の写真がこれ。
目が悪かった上に、技術も未熟であったが父親が持っていたNikon FEで撮影した結果、ちょっと残念な写真となってしまっている。

これだってきちんと撮れていれば、なかなかいい絵だと思うのだが。
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余部の集落はあまり大きくはなかった様な気がする。
その日は、余部のユースホステルにとまったな~、そういえば。

初めてユースホステル利用したのもこのときだったと思う。

一緒にいった彼は今頃何をしているのだろうか。


タグ:余部鉄橋
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115系 ホリデー快速むさしの号 ~意外な混雑~ [鉄道]

昨晩は、昔なじみのプログラマーさんと、これまた昔なじみのWEB制作会社社長とお酒を飲みに行った。前者のプログラマー殿がデザインもうまい会社がないかという相談を以前にされていたので、ご紹介ということになった。

お互いに同世代ということも、あり仕事のことは15分。
あとはゲームと趣味の話でもりあがりしこたま飲んでしまった。

しかし、今日(12日)は久々に夜勤がない土曜日という事もあって、以前から乗ってみようと思っていた「ホリデー快速 むさしの」に乗りに行くつもりだった。

乗り鉄の本領発揮というところだろうか。
昔から、出かける時の早起きは厭わない体質を本日も発揮。

5時すぎに最寄り駅を出発し、6時40分に八王子駅へ着いた。

早速、「ホリデー快速 むさしの」が待つ3番線へ

周囲には、これから奥多摩や高尾、あるいは南アルプスまで足を伸ばすのだろうか、軽装から重装備の人までハイキングの装備をもたれた方々ホームを行き交っている。

そして、部活に向かう中高生。昔は自分もこんな一団として映っていたのだろうか。
(閑話休題)

3番線には、「ホリデー快速 むさしの」が待っていた。
しかも115系のスカ色。個人的な言い回しをさせて頂くと国鉄時代の純正色である。IMGP1388.jpg

昨今は115系を目にする機会は、日常的な私の行動エリアではなくなってしまった。
ましてや純正色は貴重である。いつまでこの塗装で走ってくれるかな・・・。

この列車、ご丁寧にヘッドマークまで掲載している。

さて、6時47分に少し二日酔いの頭に活力を入れるべく、ミネラルウォーターを買って車内へ。

首都圏ではめっきり珍しくなってしまったボックスシートの1つに身体を埋める。乗客はまばらである。やっぱり大宮まで行く人なんてあまりいないのかなと思いきや、席は次の立川で概ねうまってしまった。

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そうなると、この懐かしきボックスシートは私にはやや窮屈である。
メタボが進んだ今となっては、隣に座る人にもなんだか申し訳ない。
それ以上に、結構利用者がいることに驚いた。(多くの人は大宮までご一緒であった)

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中央線の高架工事が進んでいるな~と思っていたところで、中央線を離れるべく短絡線を通って武蔵野線へ。この短絡線、通常時は貨物専用である。この様な短絡線は東北線へ入る際にも使用する。

普段、乗る機会のない線路に乗れるというのも、この列車の魅力かな。

新秋津へ向かって地下道を進む。
115系は賑やかだ。また、クロスシートで暗い環境は、早朝で眠い人には好都合。眠気が襲ってくる。

それも束の間、その後は高速で大宮へ向かってひた走る。
しかし、武蔵野線は何かゆとりのある作りだ。

そして、40分かけて大宮へ到着。本来が新幹線への連絡を使命としている列車であるのか細やかな乗り換え案内があった。

帰りがけ、上野、東京間の東北縦貫線計画の工事が、目に付く形で姿を現しているのに気が付く。普段、この区間は夜乗る事が多いのでこれまでほとんど気にしていなかった。
この間の山手線・京浜東北線の混雑振りは聞いた事があるが、東北線は上野から。東海道線は、東京が始発であってほしいな。個人的な願いだが、東京駅始発だと帰りに座る事のできるチャンスがあるので・・・。

5時に家を出発して、9時少し前に家に到着。

首都圏の外縁部の半分位をまわってきた感じだろうか。
しかし、なかなか有意義な朝だった。


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